子育ての視野を広げる海外教育。モンテッソーリ教育

2021-06-14

最近では、将棋の藤井聡太二冠が幼少の頃受けていた教育として話題になったモンテッソーリ
教育
。しかし、決して出来たばかりの流行りの教育というわけではありません。

世界中で支持されてきた教育法で、アンネ・フランク、「シムシティ」の開発者ウィル・ライト、ヘレン・ケラーなど、著名人を挙げると枚挙にいとまがありません。また自身はモンテッソーリ教育を受けなかったけれど、支持した著名人にはガンジー、トーマス、グラハム・ベルなどそうそうたる名前が挙げられます。

モンテッソーリ教育を生み出したのはイタリアの医師であり、教育者であったマリア・モンテッソーリです。モンテッソーリ教育とは彼女が1907年に設立した「子どもの家」において完成させた独特の教育法です。

「子供には自分を育てる力が備わっている」という「自己教育力」の存在がモンテッソーリ教育の前提になっています。例えば赤ちゃんは誰かに命令されなくとも立ち上がり、歩こうと努力します。これが自己教育力です。

この前提をもとに「自立していて有能、かつ責任感と他人への思いやりがあり、生涯学び続ける姿勢を持った人間を育てること」という教育理念を掲げています。

マリア・モンテッソーリは人間が完全な大人になるのは二十四歳くらいだといい、それまでを四つの時期に区切りました。

・第一期:0~6歳
・第二期:6~12歳
・第三期:12~18歳
・第四期:18~24歳

人間はこんな大きな節目を持って成長していて、節目から節目まではそのとき特有の伸び方をするのです。そして他の時期では変わることのできない特徴を発揮します。

この記事では第一期の特徴についてまとめていきたいと思います。

モンテッソーリ教育の特徴

モンテッソーリ教育では幼児期にみられる特別な生命力を「敏感期」と呼び、これを教育に役立てています。

敏感期とは
・生物の幼少期に、ある能力を獲得するために
・環境中の特定の要素に対して
・それをとらえる感受性が特別に敏感になってくる一定期間である。
と定義されています。

これは人間だけに備わったものではありません。

蝶は卵を生むときに、雨風に一番安全な幹が枝に分かれているまたのところを選びます。ここで卵から生まれた青虫は自分の周囲にある堅い木の葉は食べることができません。しかし生まれたての青虫は光に対する特別な感受性をもっていて、明るいほうへ明るいほうへと進んでいきます。すると自分が食べることができるくらい柔らかい新芽を見つけることができるのです。そして大きな葉を食べることができるくらい成長すると、光への感受性を失います。

モンテッソーリは生物学で発見された「敏感期」を人間の中にも見出し、教育に利用したのです。

モンテッソーリ園の特徴

・自由に個別活動
子供たちは集団で同じことをする必要はありません。一人ひとりが自分の「敏感期」にあった活動に出会えるように、自由に個別活動を行います。子供は自分で自分の活動を選び、自分のリズムで心ゆくまで繰り返し活動することができます。その活動を園では「おしごと」と呼び、おしごとの時間を用意しています。

・子供の自発性を重視する
子供がそれぞれ持っている「知的好奇心」が自発的に表れるように、「自由な環境」を提供することを重視します。

・縦割りクラス
違う年齢の子供たちが混同するクラスの中で、子供たちはお互いから学びます。年下の子供は
上の子供たちを見て学びますし、年上の子供たちは下の子供たちの世話をしたり教えたりすることを通して学びます。

・教えない教師
モンテッソーリ教育では独特で様々な用具や教具が物的な環境として用意されていますが、教師は「モンテッソーリアン」と呼ばれる大切な役割をもった人的な環境です。モンテッソーリ教育は内容が特殊なので、専門の教育を受ける必要があり、この教育を受けた教師の称号が「モンテッソーリアン」なのです。

モンテッソーリ教師は「教える」ことはしません。なぜなら教えるのは子供自身だからです。モンテッソーリ教育の前提になっている「自己教育力」が子供には備わっているのですから、教師の仕事を教えることではなく「導く」ことです。

「モンテッソーリアン」の仕事は、子供の能力が周囲の環境とうまく交わるようにサポートしたり、使い方を提示することです。

モンテッソーリ園のメリット

・教師の質の高さ
教具をそろえたり、忍耐強く待ち続けたりとモンテッソーリ園の教師たちはほかの園と比較して大変な労力が必要です。またモンテッソーリ教育では、教育の方法も含めて常に学び続けなくてはなりません。モンテッソーリ教育では大人が子供を理解するために、大人は子供から学び続ける必要があります。さらに多くのモンテッソーリ園では定期的に教師の研修が行われています。子供から学ぶという姿勢が、人としても尊敬できる教師を育てているのかもしれません。

・保護者の意識が高い
「近いからたまたま通っている」という園児も少なからずいるかもしれませんが、モンテッソーリ園にはモンテッソーリ教育を受けさせるために遠くからわざわざ通っている家庭も多いです。そのため保護者の意識が高いのも特徴であり、大きなメリットです。

例えばテレビを見せない、またはできるだけ見せないようにして育てていても、幼稚園に入った途端に周囲がみんな見ている。話についていくために様々なアニメや動画を見せざるを得なかったという話をよく聞きます。

しかしモンテッソーリ園をわざわざ選んで遠くから通っている家庭では「テレビは見せない」「動画は見せない」「スマホは触らせない」などのルールを決めていることが多いようです。

育児にこだわりがある家庭なら、モンテッソーリ園に通うことで仲間を見つけることができるかもしれません。

・個性が伸ばしやすい
一人一人の発達段階や性質に合った教育を行うので、個性を大事にすることにもつながります。また自分のやりたいことを充分にさせてもらえることで、抑圧されることが少ないため、情緒が安定しやすいともいわれています。

・社会性が身につく
縦割りクラスがモンテッソーリ園では普通です。そのため年齢性別にかかわりなく、さまざまな子供たちと同じ時間を共有します。大人になったら普通年齢別に分かれたりはしませんね。モンテッソーリ園では大人になるにつれて身につける社会性を幼児期に身につけることができるのです。

・自主性と積極性が身につく
おしごとの時間では子供が自分で決めたことを、決められた時間内で好きなだけ行うことができます。やりたいことをやりたいだけできる環境が子供たちの自主性と積極性を育みます。

・集中力と忍耐力が身につく
子供は自分の納得のいくまで、大人に邪魔されることなく取り組むことができます。夢中になれる教具と環境が整っていれば、飽きることなく集中力と忍耐力を鍛えることができます。

・器用になりやすい
幼少期から様々な教具を利用して、おしごとに取り組むため、手先が器用になり日常生活もスムーズに行えるようになりやすいと言われています。その結果さらに情緒が安定しやすいともいえます。

モンテッソーリ園のデメリット

・園によって、教育の質にばらつきがある。
実はモンテッソーリ園をうたっているだけで、中身は全く伴っていない園もあります。ひどい場合には縦割りクラスなだけで、おしごとは一切用意されていないという園もあります。

モンテッソーリだからと信用せずに、必ず見学して子供たちと先生の様子を観察してみたほうがよいでしょう。またよいモンテッソーリ園なら教具が子供たちが自由に扱える場所にきちんと整頓しておいてあります。教具が雑に扱われていたり、子供たちの手が届かない場所に置いてあったりする園は質がいいとはいえません。

・費用が掛かることもある
2019年から幼児教育無償化が始まりましたが、上限があります。モンテッソーリ教師の養成には時間も手間もかかるため、保育料に反映されることがあります。各家庭でどこまで捻出できるか決めたうえで、園を選ぶようにしましょう。

・入学準備などは各家庭でする必要がある
園によっては、就学前にひらがなカタカナの読み書きや簡単な足し算引き算など、就学準備をすることもあります。しかしモンテッソーリ園では子供が望まない限り、教師のほうから働きかけることはありません。

文字への敏感期は普通3歳から6歳の間に起こると考えられていますから、大抵の子は文字のおしごとを経験し、ある程度読み書きできるようになっていますが、敏感期の時期には個人差があります。数に関しても同じことがいえます。

ですから、お勉強ができるようになることをモンテッソーリ園に望んではいけません。もちろん「お受験」にも対応していません。たまにモンテッソーリをうたっている「受験塾」などもありますが、それはモンテッソーリ教育とはいえません。

ここで僕の知人の体験談を紹介します。

モンテッソーリ園体験談~Aさんの場合~

私は長男が生まれたときから、モンテッソーリ教育に興味がありました。その当時はまだ藤井聡太さんは有名になっていませんでしたが、ネットなどで幼児教育を色々検索してみた結果、私の望む教育はモンテッソーリだなと感じていました。

なぜなら私は子供に「自分自身で生きる力」を身につけてほしいと強く願っていたからです。学力や運動能力よりも、子供が幸せになるために必要なことだと思っていました。そしてその考えは今でも変わりません。

そうはいっても長男が生まれてから歩き出す位までは特になにも用意していませんでした。正確に言うと少しモンテッソーリ的なことをやってみたのですが、まだ長男の反応がよくわからなかったので、続ける気になれなかったのです。

長男が動き始めると同時に私が意識したのは「待つ」ことと「見る」ことです。例えば散歩していて、急に長男が一歩も動かなくることが何度もありました。そういうときは帰ることを急かさずに長男を観察しました。すると長男なりの理由があることがわかったのです。

排水溝の上を歩く時の感触とアスファルトの上の感触の違いを確かめている。道路わきの葉っぱの色や形を観察している。小石を拾っては排水溝に落として音を確かめる、等です。詳しく敏感期の種類を知っていたわけではありませんでしたが、そういうときの子供は真剣そのもので、邪魔してはいけないのだなと感じました。

ですから可能な限り待つようにしていました。すると息子なりに満足する瞬間があり、満足すればいつも通りの散歩に戻ることができました。

大変だったのは感覚の敏感期、長男が2歳のころ箱ティッシュを全て出すことに夢中になりました。

「シュッ」という音と手に感じる摩擦を楽しんでいたのでしょう。でもおもちゃを買うよりは安いし、出したティッシュでも集めれば使えるので、邪魔しないようにしました。20箱位出し切って満足したのでしょう。その後はやらなくなりました。

そうやって育てたおかげだと言い切ることはできませんが、長男にはイヤイヤ期と呼ばれる時期はありませんでした。

3歳差で次男が生まれてからも同じことを意識して育児したのですが、次男にもイヤイヤ期はありませんでした。

長男をモンテッソーリ園に入れるべきかどうかは、かなり悩みました。最寄りのモンテッソーリ園でも結構遠かったですし、家でも用意できるおしごとは用意していたからです。

そこで私は通える範囲にある幼稚園を全て見学してみました。すると長男が一番落ち着いて居心
地良さそうにしてくれたのがモンテッソーリ園だったのです。おそらく園児たちの落ち着いた雰囲気が良かったのだと思います。

縦割りクラスで生活している園児たちは皆、見学に来た小さなお友達を自然にリードしてくれました。初めて見学に行った日に長男は嬉しそうに「シール貼り」のお仕事をやりきって、パズルや縫いさしをするお兄ちゃんたちに興味津々といった感じでした。

結局長男も次男もモンテッソーリ園に通いました。送迎が大変でしたが後悔はありません。二人とも年齢に似合わぬ落ち着きがあり、外出時にぐずられて困ったことなど一度もありません。

モンテッソーリ園児は子供らしさがなくて、可愛げがないとおっしゃる方もいるようですが、私は素直に助かったと感じていました。

園生活は楽しく充実していたと思います。年少、年中のころは、毎学期たくさんのシール貼り、縫いさし、糊貼りを持って帰ってくれました。日常生活のおしごとを幼稚園で覚えると家でもやりたがるようになりるので、出来るだけ手伝ってもらいました。

印象的だったのは長男が年中のころの洗濯物たたみで、取り込んだ洗濯物を最初に「お父さん
の、お母さんの、僕の・・・」というように分類していました。もちろん私はそんなやり方はしていませんでした。途中で自分のシャツと父親のシャツを比べたりしながらたたむので時間はかかっていましたが、きちっと畳んで、正しい場所に収納することができていました。

「分ける→集める→比べる→合わせる」というモンテッソーリ特有の知性の表われを洗濯物で感じることができました。

年長になると形の残らないおしごと、数や文字、地図などに時間を費やしたようです。

長男は年長の秋までひらがなを読むことができませんでしたが、文字の敏感期が11月くらいに来たようで、1カ月でひらがなカタカナを全て覚えていました。家で教えたことは一度もありません。

ただ数の敏感期は来たものの、計算にまでは興味が広がらなかったようで、入学時は簡単な足し算もわからない状態でした。しかし私は気にしていませんでした。

長男にも「幼稚園で勉強してくる子もいるだろうけど、ちゃんと小学校の先生が教えてくれるから大丈夫だよ」と伝えていました。

唯一、私が心配したのは入学後の友人関係でした。受験する予定はなく、地元の公立小学校に
入学しなくてはならなかったため、他の園出身の子供たちとうまくなじめるのかが気がかりだったのです。

遠くの園に通ったため、長男の学年には同じ園出身の子供が一人もいませんでした。長男には落ち着きがありましたが、人に合わせるのは不得手かもしれないと考えていました。

実際、入学後しばらくは幼稚園が恋しそうでした。でもしばらくすると、自分なりのペースで学校を楽しめるようになってきました。

初めての家庭訪問では「手伝いを率先してやってくれるので助かりますし、他の子供たちからも信頼されています」とうれしいお言葉をいただきました。

小学生の間は読書は好きでしたが、ずば抜けて成績がいいということはありませんでした。順位をつけるなら、中の上くらいだったでしょう。しかし自分が興味を持ったことに見せる深い集中力と忍耐力には目を見張るものがあり、いつか勉強全体にいい影響がでたらいいな。と淡い期待を寄せていました。

現在長男は大学生です。自分で選んだ国立大学の薬学部に入学し、将来の夢に向かって努力し
ているようです。次男も自分の道を見つけたようです。二人とも炊事、洗濯、掃除などのスキルが私よりも優れている位です。

モンテッソーリ教育は「自分自身で生きる力」を子供たちに与えてくれたと私は感じています。二人が通った園の先生方には今でも深く感謝しています。

モンテッソーリ園に通うべきか

モンテッソーリ園に通ったからと言って、完璧な子供に育つわけではありません。あくまでも子供一人一人のペースに合わせた教育法ですから、卒園までに達成感を味わえない子供もいるでしょう。

それでもよい園に通うことができれば、自由に集中する経験を通して、それぞれ成長することができるはずです。

もし通える範囲にモンテッソーリ園があるなら、一度見学に行くことをお勧めします。しかし見学に行ってみたけれど「何か違う気がする」と思ったり、費用が掛かりすぎたり、遠すぎる場合は無理して通う必要はありません。

「自由に子供のペースで活動させる」ことは家庭でもできます。モンテッソーリ教育を受けていない著名人は、当たり前ですがたくさんいます。

「もし良かったら通ってみよう」位の気持ちで園を探してみてください。